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僧侶になりました。

7月6日~15日まで10日間の京都西山別院内・得度習礼を終え、16日に御本山・西本願寺にて得度式を授式、帰って参りました。
法名を賜るなら得度で、と決めておりました。
8年前の事です。
8年、長かった…でも、今でよかった。

当時は「大事な事だからお坊さんになりたい」などと親しい人にも言えず、現在坊守となった今でも「お寺の為」と建前のみお話しておりました。
私にとって大切な個人的なけじめとしての得度、家族以外には深く話さず家を出た次第です。
(スケジュール調整、大変でしたね。送り出してくれて、留守番も、ありがとうございましたm(__)m)

ですが留守の間に変化を察せられたMさん、女性のカンとは鋭いものです。住職から話を聞かれたそうで、23日の〈盂蘭盆会法要〉では思いがけず、「おめでとうございます」と祝いのお言葉をかけて下さり、なにも知らぬ私は驚きと、有り難さとで、妙に気恥ずかしく少々うろたえてしまい申し訳ありませんでした。

みなさまからのお気持ちは、輪袈裟に換えさせて頂きました。お気持ち、身に沁みます・・・有難うございました。
次回の写経の会や9月の寺報などでもご報告させていただきたいと思います。
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紅葉

この時期恒例の落ち葉掃除も、枝に残す葉もわずか・・・終わりに近づいてきました。

一見厄介な桜の木の落し物ですが、個性的な虫喰の跡、ひとつとして同じ色のない葉っぱ、ムッとした桜の匂い・・・
「ゴミにしてしまうのがもったいない。このままでいいのになぁ。」
落ち葉をスーパーの袋に詰めながら、これが私の本心だったりします。

しかし、道路は公共のもの。道路に落ちた葉を「きれいだ」と感じる人ばかりではないですよね。
「家の前を掃除もしないで。」そんな世間の声も聞こえるような気がする私は、ホンネを隠して落ち葉を集めます。

そんな時、「ナンマンダブ、ナンマンダブ」お念仏がこぼれて下さいます。
一般常識からちょっと外れたような気持ち、ふと感じる孤独な気持ち。
「わかってるよ、ひとりじゃないよ、ナンマンダブナンマンダブ・・・」

阿弥陀様は、私を丸ごと包み込んで下さっております。

2015sakura.jpg


捨てられる、ということ。

捨てるのは簡単。〝必要ないから〟〝好きじゃないから〟理由はそれだけで充分。
友人を選ぶとき、人間関係でも同じだったりする。
家族であっても。
反対に、捨てられるとき。
ヒトがヒトを捨てていく。孤独、孤立、・・・想像するだけで恐怖なんだろうと思う。
友だちに、地域に、社会に、捨てられることが怖くて、みんな必死。

先月、急に両手・両膝足関節がむくみ、腫れ、こわばり、座る・立ち上がる・歩くなどの日常動作が困難になり。
仕事を休み、リウマチ膠原病の検査を受け、結果を待つ10日程で症状は消えましたが、
この期間中、検査結果次第では〝これまでの私の生活〟はできないだろう、という不安と覚悟とが交錯する割り切れない思いを抱え、泣きました。

一方、20年前に一生の仕事だと思って選んだ指圧の仕事も続けられなくなるだろう。でも仏教を少しでも勉強している今でも、死ぬまで出来ると思い込んでいた自分がいた、この私の思いにがく然としました。

友人が以前言った言葉・・・「動けないなら死んだ方がいい」
10年も前に聞いた言葉が、グサリ、胸をえぐります。働けない人間はいらない。

病気になりたくてなる人はいない。
でも人は、かわいそうにと同情するか責めるか。病気の原因を並べて、責める。「お酒の飲みすぎなんじゃない」「休まないからだよ」「あのひとは○○だから病気になってもしかたない」。原因はあなたにあるのよ、と。生まれたことさえ責められかねない。

人間であるということ、人間社会は、厳しいです。

先月の法要で、渡邊先生は正岡子規氏のことばをご紹介下さいました。
結核を患い亡くなる数か月前の文章だそうです。
〝余は今まで禅宗のいはゆる悟りという事を誤解して居た。悟りと居ふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りと居ふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。…    六月二日
【正岡子規著〈病牀六尺〉より】〟

人のとのつながりの中で自分がいつ見捨てられるのか、不安の中では平気で生きてゆくことはできない。
自分には関係ないと区別した途端に、ヒトを簡単に見捨ててゆける自分を知っているからこその他人への不信感。
独りになることへの恐怖感。

悟りの境地など到底及びもしない私はすぐへこむ、人の目が気になる、どんな時でも平気で生きてゆく事など不可能。

それでも今、確かなヨリドコロのなかで、私は大丈夫、なのです。

『それでも、それでも、生きてゆく』
…大好きなご法語です。

20140809.jpg

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じゃがいもと都知事選

訪問介護のしごとで、買い物代行を頼まれることがあります。

このしごと、確認がとても大事。

例えば『じゃがいも』。

煮物は“メークイン”、ポテトサラダは“男爵”とお料理によって使い分ける人もいれば、
“メークイン”は苦手でジャガイモは絶対“男爵”の人も。
“どちらでもいい”という人もいます。
産地が気になる人もいますよね。
あと袋入りか1個でいいのか、とか。

子どもでも知ってる『じゃがいも』という固有名詞でさえ、アタマに浮かべる内容は様々。


『東京日本一』『福祉』『原発』etc…
この言葉に込めた内容を伝えるって、選挙戦、短いんじゃないかと思う★

甘納豆

子どもの頃大嫌いだった“甘納豆”。
私の母がちょこちょこつまんでいた姿と今の自分の姿がダブります☆
母の好物。今では私の好物。

先日仕事中に、「あんたおっきいねぇ。」と。
80代の方にとって、160㎝超えたら大きい身長なのでしょうね。
「親のおかげですね。」何気なく答えましたが、以前だったら出ない言葉だったなぁと。

小さい頃から両親に、特に母に対してはずっとわだかまりがありました。
文字、言葉、態度、どんな手段を使っても決して気持ちが伝わらない、家族なのに。
友人に「ネガティブ思考」とラベルを貼られる根っこのひとつはここからきてるかなと^^;

両親に対するわだかまりはそのままですが、
電話の声が母そっくりだと言われる事も、甘納豆を好きになった自分も、丸ごとありがたいなと感じる今です。




プロフィール

ⅿ-jyoo

Author:ⅿ-jyoo
浄土真宗本願寺派 江戸川布教所妙蓮寺 坊守・本願寺派僧侶・ふたりの男の子の母です。
奇数月発行の寺報【妙蓮寺だより】の小さなコラムを担当してます。〔坊守のひとりごと~こどもと私〕どうぞご覧ください。
国家資格である〈あん摩マッサージ指圧師〉を生業とし20年近くになりました。
2016年、江戸川保健所の許可を得て治療院を開設、HPただ今準備中です。

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